ぎゃしゃ浮砲台

浮足立った雑文

春の風/サニーデイ・サービス

生後すぐの我が子の夜泣きに困ってアレコレしている中で、サニーデイ・サービスの「青春狂騒曲」を聴くと泣き止む、というルーティンがあった。
泣き疲れのタイミングにハマっただけなんだろうけど、それだけでも救われる一時だった。

昔から何か耳に引っかかる曲で、あの独特の言葉の弾み方に和まされることが度々あった。
「青春狂騒曲」は夏の終わりを思わせる曲だったけど、今日聴いた「春の風」も季節を感じる歌だった。

あっけらかんとはしないけど、どこか和やかでもある、そんな日々が続くことを肯定してくれるのは、いつも音楽だなぁ。

https://open.spotify.com/track/3IQKbvczPlL3PM9lryjroa?si=SWCSo7HvQfaOX3CJAJc3LA

good job/Yonawo

結局、麻婆豆腐作るならレトルトソースを買ってきた方が満足度高い。
カレーもシチューも、長年蓄積されたメーカーの知見とケミカルの力があるのだから、トーシロがテキトーに混ぜ合わせた調味料では敵わない。

なんとなく敗北感を感じながら、ベッドに寝転んだ。
まぁ、良くやってるよ、俺。
自画自賛で甘やかす夕方から夜の狭間で、昼寝とも言えないまどろみで聴いたgood job。

ライブハウスが恋しくなる音だったなぁ。

https://open.spotify.com/track/1RuHQZEAYBtAqcWo1saFSc?si=37T9RFoeQoqsY_lkRH-Bew

優しさ/藤井風

誕生日を祝われる側、という立場がとにかく苦手だ。
誕生日以外のハレの催し全般だが、特に誕生日が特別。
「あ、どもども、あざっす」という感じで半端に頭を垂れてしまう。
謙遜でも卑下でもなく、自分で自分の誕生日に距離を取ってしまうのだ。

誕生日を迎えて、誕生日プレゼントを頂くという一連のセレモニーに、毎度ノリきれない。
そのノリきれなさが、祝ってくれる人に申し訳ないな、とも思うのに弾けられない。
もっと全力で「あざーっっす!!うれしい!!Yeah!!」ってできたら…

>優しさに触れるたび
>わたしは恥ずかしい

祝われることが恥ずかしい、のではなく、優しくされることが恥ずかしい、のだと思う。

https://open.spotify.com/album/3GQZmfknolba58pfe6uSUO?si=WyzcgJx_RF2vgw2YfllvTA

Say So/Doja Cat

ついにあつ森に手を付けてしまった。
目先のミッションをこなすだけの序盤だけど、昔好きだった牧場物語を思い出して楽しい
「フルーツをあつめる」とか「虫を捕まえる」という本筋ミッションに関係の無いルーティンタスクに延々と没入する

単純な作業に没頭する、ということが日常ではどんどん少なくなる
より良くするための工夫をするし、責務も興味も常に変化し拡がるからだ

もっともっと原理的に、達成感に素直になりたいといつも思いつつ、こんがらがったり


あつ森関連の動画がtwitterでバンバン流れてきて、その中で見かけたのが、Say Soの音に合わせてどうぶつたちがダンスするやつ

かわいくてエロい、一聴してそう感じた
ミラーボールの似合う曲はエロくないとね

https://youtu.be/pok8H_KF1FA

TEENEGER/オカモトコウキ

10年くらい前に通っていた駅前のバー。
そこでお酒を飲む時間は、大人ぶりたい背伸びと肩肘を張りたくない手軽さが、ちょうど良い温さだったから。
常連とまではいかないけれど、店主がこちらの顔も名前もすっかり覚えてくれた頃に、自分で持って行ったCDを店内で鳴らしてもらったことが、一度だけあった。

山下達郎『TREASURES』の「蒼氓」を、客が自分一人になった時に、ウイスキーを飲みながら聴いた。
なぜそんな事をお願いしたのか、その契機となった出来事はまるで覚えていない。
でもきっと、一人でサクッと飲み込むには苦くて、そんな苦さをヒロイックに浸りたいMっ気のような気持ちもあって、こんなリクエストをしたのだと思う。

思い出すと、恥ずかしさしか無い。

感傷的なフリをして‘“あの頃”に浸るセンチメンタルは独りよがりなスイーツ。
失ってしまった記憶を甘やかに思い出しながらウイスキーでも、なんてことに酔えるほど、厚顔になれなくなってきた。
ごめんなさい、ともっと言えたら、というタラレバに打ちのめされるから、浸れもしない。

あのバーで蒼氓を聴きながら飲んだウイスキーの恥ずかしさ、を思い出した一曲。

https://open.spotify.com/track/5jLd8GTjKkN75O5vONwLU8?si=hkCe3kTUTJWKYKcBTwymtQ

ホットギミック ガール・ミーツ・ボーイ

一晩経てば、と思ったけどまた‏ヒリヒリする。
日焼け止めを塗らずに海で遊び回り、その晩も翌日ものたうち回った7歳の夏を思い出す。


こんなにも焦がれた元凶。

 

 
一晩では収まらないヒリヒリも、幾晩か経てば消え失せるのだろう。
苦しさを名残惜しく感じてしまう。

 

■豪華3種盛

「秀才であるが故に感情に振り回されている自分を許容できずに、好きな女の子に意地悪な態度を取ってしまう、幼児のように素直な幼馴染」が「細身長身前メガネ切れ長三白眼生白爬虫類系」

「華やかな容姿でファッション雑誌の表紙を飾り、甘い言葉で愛を囁いてくれる王子様、と見せかけて心を踏みつけてくるドSな憧れの君」が「将来的には斎藤工ライクな顔面性器に成長しそうなぱっちり二重とぽってり唇の華やかチャラ系」

「常に温かい目線で守り、無防備でいさせてくれる存在、でありながら兄弟以上の愛情を抱いていることが暴発しそうな兄」が「清潔感第一の模範的な服や髪形が余計に顔面(特に顎のライン)の整い具合を引き立たせる系」

王道フォーマットな3方向から至れり尽くせりのジェットストリームアタックが次々と繰り出されるキラキラときめきガールズムービー...とはならずに、痛みに痛みを重ねてくるような映画だった、
甘いのに痛ましい気持ちの波はガールのものか?ボーイ(ズ)のものか?
「10代の青春の痛み」なんて限定的では無かった。

 

 

■海鮮丼は本当に美味いのか

観賞後、呆けた脳で酒場へ行った。
魚が美味いと評判の店で、もずくと刺身と天ぷらを口にして正気を取り戻しつつあったが、締めに頼んだミニ海鮮丼が「うに・いくら・イカ」のジェットストリームアタック丼だった。
海鮮丼ってテンションあがるやん、と思って食べたけど疑問符が浮かんだ。
うにといくらとイカが混ざった味を美味いと言えるのか。
うにといくらとイカがマックス美味しいと思えるのはどんな時だ。
そう、白ごはん。
白ごはんと一緒の時にこそ、うにもいくらもイカも真価を発揮する。

 

 

■白ごはん賛歌

「わかんない」は思考の否定ではなく、感情が入り混じり過ぎて自分でも掴めない白さで。
わかんない、明日には色が変わってしまうかもしれない、けれども己の白さと味を全肯定して進む少女の美しさと怖さ。
いつだって、そんな怖さと美しさに憧れ続けている。
一生、手の届かないものだから。
うにになっても、いくらになっても、イカになっても、白ごはんには敵わない。

取り留めもない言葉を書いてて、何に呆けて打ちのめされていたのか、どんどんぼやけてきた。
わかんないよ。

フチなしメガネ

「そうそう」
彼の話している景色を思い出すと、自分や誰かの言葉を受け止めて、一撫でして、またラリーが続くように返す肯定の相槌を思い浮かべる。

魔法のような、悪魔的にも思えるその相槌は、自分も相手も言葉の奥にある考えを更に深めたくなるブーストアイテムだ。
そんな彼のような柔軟に相手の動力を活かした会話ができたらな、と毎度感じている。

どのくらいのお付き合いかと振り返ったら、もう13年も経っていた。
干支一周していたことも意識しないほど、飽きることなく同じような話をループしている。

20代後半から30代を経て、40代へ。
年齢の節目に特別な価値は無いけれど、感慨のようなものはある。
先人たちを見て凝り固まった思考や行動にはなるまい、と抗う気持ちに苛立たないように。
若い価値をおもしろがり続けたい。
ええとこ取りしたくなるバランスを取っちゃいそうな世代に突入することにも、おもしろみはありそうだと今から楽しみな時期だ。

「友達」とも呼びたいし、「コンシェルジュ」とも呼びたいし、「マスター(師)」とも呼びたいし、関係を定める言葉なんて無粋なんだけど、包括して「共犯者」でいられたらなぁと思ってる。

レンズは通せど、枠にハマらず

フチなしメガネで世界を見て、考えて、話して、お酒を飲もう。

メガネヤさん、四十路突入おめでとう。

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