本日が男子(及川光博の男性ファン呼称)として最後の日。
彼がデビューしてから25年、自分の人生と彼の活動をリンクさせつつ、ずっと男子として応援し、生きる力をもらってきた。
そんな25年に終止符を打った、2021年の初夏。
もう、男子辞める。
コロナ渦を経てのリベンジツアーとなった『SOUL TRAVELER』ツアー、最終公演の場である大阪会場に赴いた。
2年越しのミッチーワンマンショー。ミッチーどころか、音楽も演劇も、生のパフォーマンスを空間を共有して見ること自体がとても久しぶりだった。
毎年の恒例だったことがコロナで挫かれ「いつもの」が通用しなくなった世界で、また生のパフォーマンスを体感するなら、ミッチーのショーしかないと決めていた。
”男子”の特権
ずっと、ミッチーファンの中で数少ない”男子”であることに誇りと特権のような視点を抱いていた。
ミッチーとベイベのときめきイチャイチャを俯瞰で見る立ち位置、同性としてミッチーへのシンパシーと憧れと感嘆を得られる視点。
あと、恒例のコール&レスポンス「男子ーー!!」で得られる特別感。
どこか冷ややかに、冷静にミッチーという存在との距離感を図りながら25年過ごしてきたと感じている。
距離感を保つための行動の1つが「ポンポンを持たない」であった。
もちろん「死んでもいい」は完璧に踊れるけれど、ポンポンを用意しない、手に持たないことを、今までずっと続けてきた。
「浮かれるな、浮かれちゃなんねぇぞ、ギリギリのところで踏ん張れ」と自身に科した男子視座の証明が、ポンポンだったのだと思う。
一度だけ、その冷静さを失いかけたのは、2015年「光博歌合戦」の神戸公演。
5列目という至近距離でショーを観て理性崩壊した。
眩し過ぎたから。
https://twitter.com/gyasya/status/593434222741757952
ソルトラポンポンの変
今回のソルトラツアーは大阪1公演のみの参加だし、2年越しだし、御礼というよりは納税義務のような気持ちでグッズを購入した。
Tシャツは2020年ツアーのものを着込み、会場ではアクリルスタンド、タンバリン、そしてポンポンを買った。
コール&レスポンスも、笑い声も、感情を声として表現することができない状況下で導入されたタンバリンはマストだと思っていたけど、グッズ売り場で、つい不意に「あ、ポンポンも」と告げて購入してしまった。
「声が出せない状況下での感情の発露手段」として、環境的免罪符を得たような気持ちで、開演前にポンポン作成の準備をした。
けっこう難しいんだよ、丸くてでっけぇポンポンに仕上げるのは。ねじり過ぎてピリッと千切れそうになったりして。
時は来たりて。「死んでもいい」がやってきた。
そこまでのショーで十二分に満たされ、酔いしれ、出来上がった自分は、開演前の免罪符的言い訳など全く無かったことのように、かばんからポンポンを取り出して掲げた。
ポンポンを振って、踊って、自分は気付いていた。
今までにない自己解放の先の自己解放を得てしまった。
ミッチーワンマンショーでのポンポンとは何なのか。
それは、夜空高く舞い上がる恋心
それは、時を超えて瞬く星
煌めく思いを全身で解放するため、その思いを客席一体となって共有するため、彼から放たれた光を映し返すための星として、大切なアクセサリー。
ポンポンを振り、真剣に遠隔ハグをして、遠隔アーチェリーでハートを射抜かれ、ファン歴25年目にして自己解放の上限突破を果たしたことを実感して思った。
もう、男子辞める。
俺は、ベイベになる。
未熟者だからこそ
もうさ、男子とか女子とかいいや。全員ベイベ、それでいい。俺も、ベイベ。
性別区別なんか必要なくて、及川光博が好きな人は全員ベイベ。
日常では「普通」や「男性だから/女性だから」という考えに抗い続けているのに、たいせつな場所であるミッチーの前で、自分は自分を解放しきれていなかった。
「未熟者」と歌われた時にも、心がガラガラと崩れて、でもそれは嫌な感覚では無くて、ワタシ再生産の鐘が鳴ったようだった。
まだまだ気付けることがある。
未熟であることを気付ける自分でありたい、と思って成熟しよう。
2015年にはこんなこと書いてた。
時を経て感じることの変化、特にこの5年は生き方が大きく変化したからこそ、振返って響いた。
拝啓、ペンフレンド
http://blog.livedoor.jp/gyasyahoudai/archives/44942371.html
30周年の頃に自分は何を思って彼を見ているのだろう。
ベイベの1人としてその日を心待ちにしながら生きるよ。