ぎゃしゃ浮砲台

浮足立った雑文

緩く美しく~『片道映画一本分』

映画館の心地良さは、映画を観るという感覚以外が閉じられる、暗闇の曖昧さがあるから。


日乃チハヤ『片道映画一本分』を読んだ。

 

片道映画一本分 (EDGE COMIX)

片道映画一本分 (EDGE COMIX)

 

 (あらすじ)

「何って…そんなん……あんたに会いに来てんじゃん」

メガネとチャラ男は映画館で映画を観る間だけの関係。
特に約束もなく、ましてや友達でもないふたりだが、
何故か毎週末を一緒に過ごすように――。
しかし、そのリズムが崩れる出来事がおきて…?

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先般、友人の転勤に伴う壮行会で久々に会った女性たちと、映画デートが有りか無しか、という話題になった。
意見を求められた時に答えたのは「ある程度の関係性、セックス儀礼通過済、で興味が共有できる作品なら有りだけど、1回目デートとしては無し」であった。
なんだろう、発想が貧しいなとも思うけど、「その二時間が勿体無い」と思ってしまう。それよりももっと相手の事が知りたいし、こちらを知ってほしいのに、と。
でもある女性が「1回目のデートだからこそ、映画を観ている間、観終えてからの時間で、相性を計っている」と話していた。
そんな事も、ふと思い出した。

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『片道映画一本分』を読み終えて、頭の中に漂ったワードが「曖昧」という言葉だった。
主人公2人に交わされる感情、関係性の段階にはっきりとした名付けや、定義付けるような行為がささやかで、ふんわりとしているからだ。


物語としての起伏はあまり無い。
メガネの引っ越し、は互いの感情を確認するための機能として物語を転がしてくれるが、それもまぁ地球の裏側などという距離ではない。
あぁ、でも、この距離感が絶妙なんだよな。

10代の頃の進学や、社会人スタートの就職に伴う移動なんかは、今では大した距離では無くても少し離れるだけで絶望的に感じて、それが理由で疎遠になったり、恋愛が消失したりする。いや、それを理由にしていただけかもしれない。
そういう理由にできない「会えなくも無い」距離に、気になって仕方が無い人がいたら、それはとても甘美に胸を掻きむしる状況となるだろう。そんな甘さを本作はジンジンと染み込ませてくれた。

 

メガネとチャラ男、二人は自分たちの関係性を定義付けない。
「隣で映画を観たいと思う人」で留まっている感覚は、なんて尊いんだろう。
「映画を観終えてから感想を交わしたい人」では無く、もっと感覚的で。

 

ぼんやり見える程度の暗さの中で、真正面でなく隣で、薄っすらと漏れた言葉で、お互いに共鳴できる何かを感じ取れるかもしれない、という魔法が生まれる場所かもね、映画館って。
本作を締め括る一言、とても好みです。曖昧が美味しい。